酔いに沁みる静纏の星灯り(SS)

※及影

 

何の気なしに書いたものなので、前後はないです。

 

 

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 少し調子の外れたご機嫌な鼻歌をバックミュージックに、ふたりとも薄く酒気を纏って、火照った身体を冷ますように街灯が灯す夜の中を歩いていた。ふたりの間には丁度ひとが一人分の間が有り、鼻歌に合わせてステップを踏む及川さんの後ろに追いていく形でポツポツと歩を進める。ふわふわとした足取りで側溝に寄っていくそのひとに「危ないっスよ」と声を掛けると「酔ってねぇし」と返って来る。酔っていない人間は先ずそんな事は言わない。冷たい風が頬を撫でてゆき、目の前に吐く息が白く昇ってゆく。歩くことで酔いとは違う熱が身体を温めだした頃、やっとひとが常駐しているのか怪しい駅についた。何度見ても改札口で電子ICの認証スポットを探したけれど見つからず、もしやと思ってもう一度確認すればそこには切符用の吸い込み口しか無かった。驚愕に打ちのめされそうになって数歩後ろを振り返ると及川さんは「券売機向はあっち」とにやついた表情で券売機の有る方向を指さしながらこちらを見ていた。なんて憎らしいんだろうか。分かっていたなら先に言って欲しかった。くそ、酔っていても目敏い上に、意地の悪さは素面の時と変わらないなんて質が悪い。舌打ちを打ちそうになって寸でで止め、俺は顔を顰めるだけに何とか留めた。人目さえ気にしなければ構わず地団太を踏んだかもしれない、けれど年配者の前で、しかも恋人の前で、礼を欠くのも避けたい、まさかこれ以上の醜態を晒せる訳が無かった。ただでさえほろ酔い気分で笑いの沸点が下がっていう及川さんの事だ。きっと涙を飛ばしながら腹を抱えてゲラゲラ笑うだろう、そんな事など容易に想像がついた。運良く終電より二本前の電車に乗る事が出来た。一両編成のワンマン電車に乗客は俺たちと、他にスーツ姿のサラリーマンが数人まばらにバッグを胸に抱えて背もたれに身体を預けていた。ガラガラの車内をぐるりと見渡して、俺たちは誰も腰掛けていない四人がけのボックス席に向かい合って腰を落ち着けた。店を出てからここまでの時間を俺たちは殆ど口を開かなかった。ふたりで歩く時間が心地よかったのもあるし、鼻歌の他には遠く車が行き交う音が聞こえるだけの夜中の静かな町のなかを往くふたり分の足音にじっと耳を傾けていたからだ。何気ないふたりだけの空間を味わっていたかった。

 

『海に行くぞ』飲んでいた居酒屋を出てすぐ、唐突に思いついたかのように及川さんはそう口にした。『今からっスか?』ギョッとして腕時計の時刻をもう一度確かめた。時計の針は終電に近い時刻を指していた。海へ向かう沿線は既に終わっている可能性も高いのでは、そう口にする前に及川さんは俺の腕を引いて迷わず最寄り駅に向って進みだしたのだ。

 

 窓際に腰を掛けていた及川さんが身を乗り出してガラスの向こう側を覗いた。「星だ」とろりとした声で小さくそう言った。「車内から見れるんスか」俺がそう言うと挑発するようにこちらを見て「自分の影を覗き込んで見ろよ」と言う。のそりと窓際に移動してその通りに窓の向こう側を覗くと、闇に紛れ流れる風景のなかに上空に広がる星々が見えた。冬の澄んだ空気のせいか極細かな粒の光まで鮮明に見える。及川さんはゆっくりと優しく笑う。俺たちはそれから物も言わず、海へ着くまでの間、窓ガラスに貼り付く様に夜空に瞬く星々の光を見上げた。