久々の実家

昨日久々に実家に帰っていました。

お昼から晩御飯食べて、二十時くらいまで。

 

いっぱい物をもらって嬉しかったりもしたけれど、ご飯の準備等になると決まって母親の「わたしのやろうとする事を全く見ていない」等ねちねちと言われる…。

今迄も言われ続けてきて自分の自信をまるっきり失っていた母の呪いの様な言葉。

 

「わかっとるんか?一つの行動で全部の行動に繋がってるんや。だからお前は駄目なんや。今のところ首にならんのんは会社のお蔭や。感謝せぇよ」

 

母の言葉一つで簡単に奈落に落とされる。

悔しいとも当時は思わなかったし、ああ、わたしは駄目な人間やから、一生懸命人に尽くさないと存在価値すらない。

 

そう思って生きて来たし、ずっと生きている意味を探していたし、自分が生きる意味が正直分からなかった。ずっと「死にたい」がわたしと一緒にあった。

 

そう母に貶められながら育った結果、私は「気を使い過ぎだから、もっと気を使わない様にしなさい」と上司から指摘を受ける人間になっていた。

でも、正直気を遣うのが自分が生きる上で必要だと思って生きて来たので、「もっと気を使わない様に」と言われてできるものじゃなかった。そうする事で存在価値を得れると思っていた私の、必死に生きることを許させる術が、ひとに不必要だから辞めなさいと言われたと感じて茫然としたし、それを聞いた時に涙がぽろぽろと零れた。

ひとに見られるわけにはいかないので適当に拭って、あとから零れない様にグッと耐える様に歯を食い縛って必死に心を鎮める様に自分に言い聞かせた。

でも、正直「そんなの、生まれ直さなきゃできる訳が無い」と何処にもぶつけられない憤りの様なものを感じてもいた。

 

わたしの生きる事を左右するのは母の意見だった。

気づかなかったけれど、わたしはずっと母の「おまえの様な人間はひとりでなんか生きていけない。ゴミ屋敷になってしまう」呪いの言葉があった。

 

要所要所でわたしの根幹を挫いて来るくせに、私が精神的にしんどくなってご飯も食べれなくなった時に母は何も気づかなかった。一か月たたない間に五キロ落ちて夕飯も用意されたのを食べれなくても、母は何にも気が付かなかった。

メンタルクリニックに通いだして、しんどくなって会社を辞めた時も全然何もしてくれなかった。逆に、家族のグループラインで私への不平不満を流した。

 

二年前に、本当に生きるのが如何にもしんどくなって、一度は通うのを辞めたメンタルクリニックに再度通いだして、それまで言えなかった母への思いをぶちまけた時に先生に「一人暮らし、始めるのは如何かな?」と勧められた。

その時は稼ぎもそんなにないのに、とてもできないと思った。

けれど、私よりも収入が少なくても懸命にひとりで暮らしている人もいるよ、と言われて、少し勇気を出してみようと思った。あと、後輩の子が頑張ってひとりで暮らしているのを見ていて、わたしにもできるかもしれない、と勇気をもらったのもあった。

 

ひとり暮らしを始めて、心に余裕が出来た。

誰に気を使わなくてもいいし、誰の小言も聞かなくていいし、嫌な言葉も聞こえてこない。すごく楽だった。

そして、風呂に入る時間も気にせず自分のタイミングで入れる。

実家にいた時は気を使い過ぎて入れず、気が付いたら朝だったというのが多かったけれど、今は普通に夜寝る前に必ず入れている。

凄く楽だったし、誰に邪魔されずに考え事も出来るし、何より自分の考えを言っても「だからお前は駄目なんだ」とピシャリと言われて気分が沈み込んでしまうということも無くなった。

 

ひとりで暮らし始めて二年目になって、ようやく自分の考えを他人に話せるようになってきた。自分の自我がやっと出来上がって来た。自分の立ち方が漸くでき始めた。

どう考えて、どう生きてゆくか。それがゆっくりと見えてきだした。

気が付いたら、いつも頭の隅にいた「死にたい」が無くなっていた。

生きていて、あったかいなぁと思う事が増えた。

 

多分、あの時先生に一人暮らしを勧められていなかったら、多分わたしは今此処に存在しなかったと思う。

あの言葉、こんなに金銭的にギリギリなのに、どうしてそんなことを言われるんだろう?と思ったけれど、私の生殺与奪の権利は母が握っていた。何をするにも母の顔色を窺っていた。

 

そんなひとと距離を置くことで、育っていなかった私の自我と、自覚と、自信を取り戻して成長させるための助言だったんだなぁと今なら思う。

ひとりでご飯を作って、家事をして、稼いで、帰ってきて一日を終える。

それだけでも、自分が生きる上での自信が出来るんだなぁと思った。

何をするにも人の顔色を伺う癖が漸く無くなった。

まだまだ気を遣いすぎと言われることはあっても、もうそれで死ぬしかないとか、勝手に追い込まれることも無くなった。

自分がこんなに良く笑う人間だと思っていなかったし、凄く喋る人間だとも思っていなかった。「お前の話はつまらない」そう言われて妹に喋るのを譲らされることが今迄に何度もあった。

今、生きるのがとても楽だなぁと思う。

 

久々に帰って、痛烈な母の一撃はまだ心に刺さっているけど、多分数日で回復するくらいのものだし、もう毎日受ける訳でもないので全然ましだ。

母は豪快で溌剌とした人だけど、いい人なんだけど、追い込まれたり少し嫌な事が有ったりすると私に当たってマウントを取る。多分あれは自分の精神を安定させるものなんだろうと思う。

それが偶にそういう時がある。それだけなんだけど。それだけが積み重なると結構しんどい。

 

今回家に帰ったけれど、やっぱり母と一緒に仕事したり、家事をしたりは正直しんどいので、帰っても数分程度にしよう。と思った。

 

今でも母は自分の所為で私が出て行ったとは一切思っていない。言ってないから仕方が無いけれど。未だに「お前の帰ってくる場所はここにもあるよ」と言われてゾッとする。悪いけれど、あなたの元には二度とは帰らない。

 

今本当に、家庭内でモラハラなんてものを経験している人がいるなら、ちょっと勇気を持って家を出てみないかと思います。

人間にとって、親という存在はとても大きいのだと思う。そこから与えられる言葉や情報は結構重さがあるのだなぁと離れて初めて痛感した。

閉じ込められて酸欠になってしまった部屋に穴が空いて、息がしやすくなるから。

慣れるまで大変だけれど。

 

年末に思う事ではないのかもしれないけれど。昨日感じた嫌な気分がまだちょっと抜けなかったので思い返してしまった。すみませぬ。