今年こそは

文章力と構成力と、終盤の説得性を…!

 

と思って、先程通販で欲しかった本をポチって来た。

ちゃんと上手くなりたいなぁ。

あと、構成力は本当に欲しい。

書いて、満足して、暫くして見返して絶望する。

 

というのを繰り返して。

 

暫く書けずにいて読み返して「あの時良くこの文章思いついたな自分!?」てなるので、その絶望した時に感じた伸びしろが全く感じられなくなるくらいに文章力がまた0の段階に戻っている…というのを繰り返している。

 

もっと、毎日書かねばならないんだろうなぁ

 

黙々とろくろを回し続ける職人のように、ずっとPCと向き合えるようになりたい。

明けましておめでとうございます

謹んで新春のお慶びを申し上げます

旧年中はお世話になりました

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

 

 

新年にやるぞ、って思っていたネップリのA3の8P折本も何とかできたし。

新年の目標は取り敢えず早朝に無事終えました。良かった。

やりたかった事、を未消化にするのは自分の中で腐って毒になってゆくんだなぁと思った2020年だった。

 

やりたい事はやり切る。

 

鉄は熱いうちに打て。

 

だなぁと心底思った。

 

取り敢えずやり終えたので、1/9の及影の日への小咄でも書こうかなぁと思っている所。原稿は、もう少し集中してからじっくり書こうと思う。

焦っても何も良い物生まないし。

 

そんなこんなで、2021年が始まりました。

今年も、やりたい、を実現してゆくぞ、あと、文章だけではなくて、色んなものを昨年以上に作ってゆきたいと思う。

 

こんな人間ではありますが、これからもよろしくお願いします。

 

歳の瀬の御挨拶

本年、大変お世話になりました。

色んな方とお話したり、出会えたりと随分幸せを頂いた一年でした。

 

遅くに嵌まりましたが、皆様と大好きなものについて語れる楽しさをしみじみと噛みしめました。有難うございました。

 

もう2020年も残すところ後数時間。

最後まで味わい尽くしましょう。

 

本当に一年お世話になりました。

来年が皆様にとって幸せな一年になります様に心よりお祈りしております。

 

 

また、来年もどうぞよろしくお願いいたします。

それでは、良い歳をお迎えください。

久々の実家

昨日久々に実家に帰っていました。

お昼から晩御飯食べて、二十時くらいまで。

 

いっぱい物をもらって嬉しかったりもしたけれど、ご飯の準備等になると決まって母親の「わたしのやろうとする事を全く見ていない」等ねちねちと言われる…。

今迄も言われ続けてきて自分の自信をまるっきり失っていた母の呪いの様な言葉。

 

「わかっとるんか?一つの行動で全部の行動に繋がってるんや。だからお前は駄目なんや。今のところ首にならんのんは会社のお蔭や。感謝せぇよ」

 

母の言葉一つで簡単に奈落に落とされる。

悔しいとも当時は思わなかったし、ああ、わたしは駄目な人間やから、一生懸命人に尽くさないと存在価値すらない。

 

そう思って生きて来たし、ずっと生きている意味を探していたし、自分が生きる意味が正直分からなかった。ずっと「死にたい」がわたしと一緒にあった。

 

そう母に貶められながら育った結果、私は「気を使い過ぎだから、もっと気を使わない様にしなさい」と上司から指摘を受ける人間になっていた。

でも、正直気を遣うのが自分が生きる上で必要だと思って生きて来たので、「もっと気を使わない様に」と言われてできるものじゃなかった。そうする事で存在価値を得れると思っていた私の、必死に生きることを許させる術が、ひとに不必要だから辞めなさいと言われたと感じて茫然としたし、それを聞いた時に涙がぽろぽろと零れた。

ひとに見られるわけにはいかないので適当に拭って、あとから零れない様にグッと耐える様に歯を食い縛って必死に心を鎮める様に自分に言い聞かせた。

でも、正直「そんなの、生まれ直さなきゃできる訳が無い」と何処にもぶつけられない憤りの様なものを感じてもいた。

 

わたしの生きる事を左右するのは母の意見だった。

気づかなかったけれど、わたしはずっと母の「おまえの様な人間はひとりでなんか生きていけない。ゴミ屋敷になってしまう」呪いの言葉があった。

 

要所要所でわたしの根幹を挫いて来るくせに、私が精神的にしんどくなってご飯も食べれなくなった時に母は何も気づかなかった。一か月たたない間に五キロ落ちて夕飯も用意されたのを食べれなくても、母は何にも気が付かなかった。

メンタルクリニックに通いだして、しんどくなって会社を辞めた時も全然何もしてくれなかった。逆に、家族のグループラインで私への不平不満を流した。

 

二年前に、本当に生きるのが如何にもしんどくなって、一度は通うのを辞めたメンタルクリニックに再度通いだして、それまで言えなかった母への思いをぶちまけた時に先生に「一人暮らし、始めるのは如何かな?」と勧められた。

その時は稼ぎもそんなにないのに、とてもできないと思った。

けれど、私よりも収入が少なくても懸命にひとりで暮らしている人もいるよ、と言われて、少し勇気を出してみようと思った。あと、後輩の子が頑張ってひとりで暮らしているのを見ていて、わたしにもできるかもしれない、と勇気をもらったのもあった。

 

ひとり暮らしを始めて、心に余裕が出来た。

誰に気を使わなくてもいいし、誰の小言も聞かなくていいし、嫌な言葉も聞こえてこない。すごく楽だった。

そして、風呂に入る時間も気にせず自分のタイミングで入れる。

実家にいた時は気を使い過ぎて入れず、気が付いたら朝だったというのが多かったけれど、今は普通に夜寝る前に必ず入れている。

凄く楽だったし、誰に邪魔されずに考え事も出来るし、何より自分の考えを言っても「だからお前は駄目なんだ」とピシャリと言われて気分が沈み込んでしまうということも無くなった。

 

ひとりで暮らし始めて二年目になって、ようやく自分の考えを他人に話せるようになってきた。自分の自我がやっと出来上がって来た。自分の立ち方が漸くでき始めた。

どう考えて、どう生きてゆくか。それがゆっくりと見えてきだした。

気が付いたら、いつも頭の隅にいた「死にたい」が無くなっていた。

生きていて、あったかいなぁと思う事が増えた。

 

多分、あの時先生に一人暮らしを勧められていなかったら、多分わたしは今此処に存在しなかったと思う。

あの言葉、こんなに金銭的にギリギリなのに、どうしてそんなことを言われるんだろう?と思ったけれど、私の生殺与奪の権利は母が握っていた。何をするにも母の顔色を窺っていた。

 

そんなひとと距離を置くことで、育っていなかった私の自我と、自覚と、自信を取り戻して成長させるための助言だったんだなぁと今なら思う。

ひとりでご飯を作って、家事をして、稼いで、帰ってきて一日を終える。

それだけでも、自分が生きる上での自信が出来るんだなぁと思った。

何をするにも人の顔色を伺う癖が漸く無くなった。

まだまだ気を遣いすぎと言われることはあっても、もうそれで死ぬしかないとか、勝手に追い込まれることも無くなった。

自分がこんなに良く笑う人間だと思っていなかったし、凄く喋る人間だとも思っていなかった。「お前の話はつまらない」そう言われて妹に喋るのを譲らされることが今迄に何度もあった。

今、生きるのがとても楽だなぁと思う。

 

久々に帰って、痛烈な母の一撃はまだ心に刺さっているけど、多分数日で回復するくらいのものだし、もう毎日受ける訳でもないので全然ましだ。

母は豪快で溌剌とした人だけど、いい人なんだけど、追い込まれたり少し嫌な事が有ったりすると私に当たってマウントを取る。多分あれは自分の精神を安定させるものなんだろうと思う。

それが偶にそういう時がある。それだけなんだけど。それだけが積み重なると結構しんどい。

 

今回家に帰ったけれど、やっぱり母と一緒に仕事したり、家事をしたりは正直しんどいので、帰っても数分程度にしよう。と思った。

 

今でも母は自分の所為で私が出て行ったとは一切思っていない。言ってないから仕方が無いけれど。未だに「お前の帰ってくる場所はここにもあるよ」と言われてゾッとする。悪いけれど、あなたの元には二度とは帰らない。

 

今本当に、家庭内でモラハラなんてものを経験している人がいるなら、ちょっと勇気を持って家を出てみないかと思います。

人間にとって、親という存在はとても大きいのだと思う。そこから与えられる言葉や情報は結構重さがあるのだなぁと離れて初めて痛感した。

閉じ込められて酸欠になってしまった部屋に穴が空いて、息がしやすくなるから。

慣れるまで大変だけれど。

 

年末に思う事ではないのかもしれないけれど。昨日感じた嫌な気分がまだちょっと抜けなかったので思い返してしまった。すみませぬ。

仕事納めました。

昨日の事ですが本年の仕事を納めて参りました。

いやもう終わらなくて無理くり皆に迷惑が掛からないようにだけ回して、無理やり終わらせた感が強いけど…

なんとかなりました。

 

2021年の仕事始めは無茶苦茶な机を片すところから始めなければならない…

ビックリするほど終わらなかったぜ…

 

何とか本年の仕事を終えてやれやれと家に帰って冷蔵庫を開けたら、もわん、と熱気が冷蔵庫の中からやってきて、思わず、なかに手を突っ込んで温度を確かめたけれどあったかい温度が手に伝わって暫く茫然と冷蔵庫を見つめた。

 

買って一年半、まだ逝くのには少々早すぎないか…おまえさん…。

電源を暫く抜いて、差してみたけれど変わらず…

検証は確証に代わってただただ現実に打ちのめされた。

 

まだ買った食材がなかにある。

 

買い替えっていくらするんだ…

早くしないと…

 

買った当時二万二千だったのを二万丁度に値切って買ったサードパーティ的な聞いたことも無いメーカーの冷蔵庫だったけれど、意外に重宝した。

文句と言えば、アイスが解けてしまうのと、霜を自分で取らなきゃならないのと、冷蔵庫がもう少し容量大きければ…てとこだった。

後は随分よく頑張ってくれた。

 

本当、まだ逝くのには早いよ…後三年は一緒に居る気で居たよ…

 

今朝にもう一度冷蔵冷凍室を確認すれば、全く冷却機能が働いていない。

急いで家電専門店に走ったけれど、欲しかった三菱の冷蔵庫はその店舗にも他店にもなくて、メーカー注文で一月末の到着と聞いて目の前がちょっと暗くなった。「話にならない…」思わず洩れたひと言に、店員の男性も申し訳なさそうにするばかりだった。

いや、でも、ほら、「これだったら、即納できます」とか、「冷蔵庫が壊れて」て買いに来た所謂急を要する客に対してちょっと違うアプローチ、色々あるでしょう。とモヤモヤと思ったけれど、話しになら無さそうだったので、家に帰って通販サイトを開いて店頭で見たものより旧式のものを発注した。

明日届くけれど、多分宅配だけだから設置も今のものの撤去も自分でしなきゃならない…。

粗大ごみの引き取りっていつだったかしら、過った疑問のまま廃品回収業者へ連絡すれば仕事納めは明日というので、父に頼んで一緒に放りに行く段取りして。

 

年末だから、色んな業者もお休みに入るから、段取りだけは整えて置かないと…何とかギリギリ間に合いそうで良かった。

父、手伝ってくれてありがとう。

 

明日に宅配で届けてくれるまでに掃除を終えないといけないなぁ…と。

考えて、しばらくしたらちょっと疲れがどっと来た。

 

年末、本当に慌ただしく過ぎ去ってゆくなぁ。

 

冷蔵庫、ちょっと早くに逝ってしまったけれど、今迄有難う。

日々を支えてくれたもののなかのひとつに感謝しつつ。

 

明日は掃除します。

歳の暮れ。本年もあと僅かに。

今年も暮れに入って、仕事も追い込みモードに入って参りました。

数えてもあと稼働日は片手で足りてしまう程度しか残っていない。ちゃんと年内に終わるのだろうかと焦りばかりが募ってゆく。

 

そんな中でも冷静にひとつひとつ終わらせてゆくしかないのだと自分に言い聞かせてひとつひとつ丁寧に終えて行ってひとまず今日を終える。中旬よりそのような感じに一日を終えております。パニックになったら終わり、あくまで冷静さを欠かない様にひとつひとつ。

 

あー、くたびれた。

 

気が付けば無事に終えて行った仕事達と、そんななかで慌ただしく過ぎ去ってゆくひとびとの群れを見つめて、何でこんなに皆急き立てられて年の最終月を終えようとしているのだろう。とぼうっと思って、人間って滑稽だなぁ。て少し切なく思う。

 

すこし立ち止まったら、何のために慌ただしくしているのか、何のために生きているのか、それすらあやふやで途方に暮れてしまう。

 

それでも気が付けば時間が流れて、そうしているうちに朝が来て、昼が来て、夜が来て、いちにちが終わってまた新たな一日を迎える。

またいちにちがはじまる。

 

不思議だなぁと思います。

今日を必死に生きていたら、明日を歩む自分はその前日に必死に得たものを糧に進む。

今日を苦しんで生きていたら、明日を進む自分は少しだけ強くなっていたりする。

 

慌ただしさに、大事なものと大切なものを見落とすことなく、歩み、進んでいきたいと思います。

まず、ひとから頂くご厚意に有難さを噛みしめつつ思いを大切にしまって進もうと思う。

 

追われた慌ただしさの中で忘れない様に、埋もれない様に。

本日はお誕生日おめでとうございます。

本日は影山飛雄の誕生日という事で、昨日一日早くではありますが影山飛雄の誕生日をいろいろ作ってお祝いしていました。

 

わーおめでとう!!おめでとう!!

めでたいなぁ、こんなに嬉しい事はない。

 

 

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及川徹手製のケーキとポークカレーと温玉を冷凍して、奴は空輸でイタリアに飛ばしました。

ていう、設定がありやした…

 

 

普通の豚ロースの薄切りを買おうとしてチームメイトに見つかり「何作るの!」「カレーだよ」「じゃあ絶対こっちのが良いって!」と豚バラブロックを押し付けられて豪快な豚バラの角切りが入ったポークカレーになった。

という…設定が…ありました。

 

及川徹はカレーを一食分×8パック(8日分※7日分は非常食用)になる様に個包装にして送ったのに、2日半で飛雄は食い切るという。

「バカじゃねぇの、ちゃんとバランス考えて食えよ!」
「めちゃくちゃ美味かったす」
「バカ、聞け、ひとの話をッ」

 

後、及川徹はインタビュー受けに来た時に寄った美容院で髪切って貰ったのが偶然美羽ちゃんで、小声を食らいながら美羽ちゃんを説得して最後に「影山家のカレーの作り方教えて」て訊いていました。
なので、これ、影山家の味のポークカレーなんです。(豚バラの角切り以外は)

 

だから、及川が作ったカレーというのと実家の懐かしい味が合わさって、イタリアでひとり奮闘する飛雄は夢中で食べました。
そして及川徹に怒られたんですが、口下手な彼は上手く伝える事が出来ずに短い言葉でぽそぽそと礼の言葉を及川徹に伝えました。

 

 

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本当に、24歳、おめでとう、飛雄!!